創りてたちの『手』夏休み企画第2弾!
牛養い人・牛削蹄師(さくていし)松山 龍二さんご紹介第2話です。
第1話は→( コチラ )
第2話
モ~っという牛の声に交じってメ~という鳴き声も響く牛舎。
松山さんの牛舎には、いろいろな動物がいて牛と一緒にのんびりと生活しています。
HARUKA 「なぜ牛と一緒にいろんな動物を飼っているんですか?」
松山氏 「子供たちが動物たちと触れ合える街中動物園をつくって。
そこで親子連れや友人達がうちのお肉を使ってバーベキューとかができるグリーンツーリズム的な取り組みがしたくてね。
古民家風の自宅と自宅横の春は菜の花の迷路、この時期には紫陽花、秋にはコスモスがたくさん咲く畑も活用して素敵な時間をおくれる空間をつくりたいと5・6年前から計画している。」
<メイバイクで暴走しそうなおちゃめな松山さん(´ω`*)>
HARUKA 「松山さんって動物愛がすごく深いなぁって思うんですが子どもの頃から?」
松山氏 「祖父の代から牛飼いで生まれた時から牛がいたからね。
ひいひいじいさんは、鷹匠で島津家の殿様の島案内人をしていたようで、ちょんまげ時代から動物と関わりをもった家系だね。」
HARUKA 「食を創りだすというとこで心がけていることは何ですか?」
松山氏 「やっぱり安心安全で美味しいということ。
最近は国内でも成長剤や過度な抗生物質の使用が増えている。
早く成長する分、生産コストは抑えられるけど、うちは絶対に使わない。
健康面の問題はないとされているけれど、アスベストやセシウムのように子や孫の代に悪影響がでる 恐れも否定できない。
国が認めたから安全とは限らないし、消費者が食べたいと思うか。
消費者が求めるものをつくらないといけないし、仮に求めていなくてもそこは自分たち生産者が守らないといけない。と仲間内でも話している。
生産コストはかかるけど、安全で質の良いものを求める全国のレストランから注文がちゃんとくるよ。」
HARUKA 「松山さんの育てた牛の評判をよく聞くのですが『松山牛』のブランド化はするのですか?」
松山氏 「『都城和牛』か『都城産宮崎牛』で出して『松山牛』としてのブランド化はしない。
だって自分一人が一人勝ちしても面白くないでしょ。
生産農家も大事にしたいし〝みんなで作り上げた″から。
メンバーが増えてくれば消費者に商品を送る際に入れるポストカードも作りたい。
霧島連山をバックに30人くらいでビシッとスーツ着た写真を添えて、『今回は○○さんの牛で松山が肥育して、飼料は□□さんの藁ですよ』って紹介して。」
HARUKA 「メディアやイベントにもよく出ていますね。」
松山氏 「都城牛串部隊としてのイベント出店は2年ほど前から。
自分たちでこだわって育てた肉をPRせんといかん時期が来たと思って。
メディアは顔を売ることでこの人たちが育てた牛なら安全だなって思ってもらうのと食の大事さを知ってもらえるように。
忙しいけどできるだけ出るようにしている。もう一つは出たがり(笑)。世間が俺を離さない!」
<地場サンバのイベント出店時>
―都城地域家畜市場へ移動し、競り市を見学―
宮崎の子牛は評判が良く、この日も長野や松坂、山形、三重などから子牛を買いにたくさんのバイヤーや農家が来場。
車の出入り口には車両消毒機が設置。
松山氏 「事前に冊子で農家や血統などをみて子牛に目星をつけてからセリ市で父親がうちの農園にあった子牛かをみる。
その牛をまた自分が実際にみて二人の意見があった子牛を選ぶ。
子牛の時、大きいからってそのまま大きくなるとは限らない。
小学校の頃に大きかった子があまり成長せず、小さかったのに高校ぐらいで急に大きくなる子もいるでしょ。
それと同じで骨格などをみて判断する。」
HARUKA 「スケジュールを見ても本当に忙しそうなんですが、ご家族はどんな反応ですか?」
松山氏 「かっこいいこと言うわけではないけどこんな幅広い動きができる個人農家は宮崎には俺しかいないって自負を理解してもらっていると思う。
子供たちと遊ぶのもほとんどできないけど、2月に息子が行きたがっていた京都に超強行スケジュールの家族旅行に行った。
取引先との打ち合わせを数件入れて「結局仕事じゃん」ってブーブー言われ(笑)。奈良の大仏には5分、間に合わずに入れず…。
参観日も年に1回ぐらいしか行けないから、行けた時には親子で興奮状態!
当てられたら「よっつ!」って掛け声しちゃうね。
先生からシーって言われ周りはザワザワ、嫁さんからは恥ずかしいーって顔される(笑)。
長男が1/2成人式の手紙で〝お父さんが養った牛のお肉を料理する料理人になりたい″って書いてくれたの。
夜中に料理しているとたまに起きてくるから味見をさせたりしていたのが楽しかったんだろうね。
本当にうれしかった。」
HARUKA 「子供の頃からこんなに社交的?」
松山氏 「ううん。超内気でジーとしているタイプ。
でも高校で中華料理店のアルバイト先で年上の人たちと出会って目線が変わった。
同年代の友人との会話よりも年上の人達と政治や牛業界・農協・良い肉を作ってどうマーケティングしていくかの話に熱が入るようになった。
人との出会いって本当にすごいよね。」
なんとjazzsingerの松崎加代子さんから松山さんにこんな素敵なメッセージをいただきました♡
『松山さんとはライブに来ていただいてからのお付き合いで、初めてお会いした時から真っ直ぐで熱い人だなぁって印象でした。
困った顔や不機嫌な顔は一度も見たことがありません。
いつもキラキラ笑顔いっぱいで元気やパワーを貰ってます。
松山さんを見ていると頑張ろうって気になるんです。
以前、都城の食材と音楽とのコラボでイベントを企画していただいた時も全力で取り組んでいただき、忘れられないイベントになりました。
何事にも一生懸命な松山さん。
松山さんの牛肉は最高です。
松山さんがいれば宮崎牛はずっと安泰だなって思わせてくれるそんな方ですね。
一フアンとしてこれからも応援しています。』
松山龍二
―有言実行-
やると決めたら失敗しようが最後までやり通す。意地になることもある。
負けず嫌いではないし、結構へこむことも多い。メンタルを持ち上げるときは大きな木に抱きついたり、動物たちといる。
今までの失敗は完全にプラス。失敗ではなく勉強と思うようにしているから。
成功者の人たちと話をすると自分よりももっと苦労していて、それを考えたら『まだ大丈夫!まだまだやれることある!ちょっと俺の容量がわるかっただけ』って、進化の途中と思える。
―甘いもの-
根っからのスイーツ男子で、ゼリーはスプーンで食べずにそのまま吸っちゃう(笑)。
ケーキも6号サイズを丸々ペロリと食べる。エクレアは20本いける。
和洋どっちも大好きで車の免許を取った頃は、鹿児島や福岡まで甘いものを求めに走った。
最近のお気に入りは〝ラディッシュのフルーツポンチ″。
でも最終的にスイーツだって牛飼いに結びついてしまう。
小麦でも種類によって違うでしょ。
牛にも小麦を与えるからつなぎ(グルテン)の多さで脂肪が固くなるから飼料配分につながる。
強引に結びつけるわけではないけど、農業と関連のないも話でも農業や牛との共通点が多く自然と結びついてします。
―口蹄疫・震災―
当時、JAの青年部長を就任。
口蹄疫が県内に出ると青年部として何をするか仲間と考え、都城に入れないために要望書を作成し提出。
それに反発する声も多数あがったが何か事を起こさんといかん。という思い一心だった。
都城では2件の農場で200頭以上の牛が殺処分されたが、解除になると県などに連絡を取りいち早く人を集め、消毒用の石灰外しを行い早い段階で牛を入れることができた。
ー3.11東日本大震災ー
口蹄疫復興の寄付や支援の恩返しをする時だと仲間を集め、さらに広げ都城圏域で『日本を元気にするプロジェクトチーム』を結成。
高崎花火大会では、実行委員の人がステージに立たせてくれ、口蹄疫復興ができたのも今震災で困っている人たち含めみんなの支えがあったからできたと想いをぶつけた。
すると周りの人から「募金していいぞー」って声が上がった。
大型トラックを無償で出してくれたり、2500人分の牛を出してもらうなどいろんな形で支援をいただいた。
・・・
やっぱり〝人の縁″。だから縁を大事にしたい。
今こうして牛飼いをしていられるのもみんな縁のおかげだから。
・・・
―目指すもの―
都城農業高校で4年ほど講話をしていて〝世界征服″って言っているけど全然ウケない(笑)。
昔は牛肉をたくさんの人に食べてもらいたいとか世界中に広めたいとか思っていたけど、だいぶ考えが変わって最終的にみんなが幸せでいてほしい。
そういう人たちと幸せな関係を築いていきたいって思うようになった。
だから「何がしたい!」っていう目標がなくなってきたのよ。
目の前にあることをきちんとしていけばそれが次にちゃんと繋がるから。
~牛がいないと今の自分はない~
まっすぐな目でそう語る松山さんの中にはいつも中心に牛がいる。
しっかりと地面に足跡をつけて生きている人だ。
性別など関係なく、心から素直にかっこいい人間だと思った。
〝熱くなれるもの″を見つけた創りての手はとても力強くたくましかった。