素材はどれも惚れ込んだものを
幻の麦「ミヤザキハダカ」
宮崎在来種の裸麦で、交配されていない希少種です。
戦前は、県内で一般的に栽培されていましたが、時代の流れにのまれ絶滅に近い状態になっていました。
平成19年から生産者の協力のもと復活さえた裸麦は、もともとこの地の人々や風土に慣れ親しんだもので麦秋には懐かしく優しい風を運んでくれます。
米「夏の笑み」
宮崎県内でのみ作付けが許される新品種で、コシヒカリに近く粘り気が強いのが特徴です。
芋「黄金千貫」
〝黄金を千貫つんでも値打ちがある、黄金色の芋がざくざくできる!“と名付けられた甘藷は、醸造用品種として主に栽培されていますが、でんぷん含有量が多く、ホクホクした触感としっかりとした甘みで食用として好んで食べる地元の人もいます。
風味を少しでも損なわんとすべて手作業で傷んだ部分を取り除きます。
水
蔵中には、代々受け継がれた井戸があり、母なる霧島山系から湧き出る豊富な水を汲み上げています。
焼酎は「いきもの」 自然が奏でる柳田の味
焼酎造りの工程は、麴から酒の母〝酒母″を生み、甘さと旨味を余さないよう絶妙な加減で蒸しあげた芋と合わせ、じっくりと発酵させます。
囁くようにぶくぶくと音をたてるもろみに刺激を与えると応えるように大きな泡を弾かせます。
深夜、まちが寝静まったころ微生物の囁きに耳を傾けると心が洗われるんです。
麹と水と酵母で酒母をつくるのに6日間、芋と合わせ発酵させるのに18日間
原酒ができるまでに合計24日間かかります。
原酒はイガイガして荒っぽいですが、さらのこれから長い時間をかけて寝かせることでまろやか味わいと芳醇な香りが生まれます。
「お酒をつくるってすごいですね」と言われるのですが、私ではなく実際は、無数の微生物がお酒をつくっているのです。
僕らは環境を整えてあげるだけ。
人間と一緒でどれだけ手をかけ、愛情をかけたかで出来合いが変わります。
心がココになかったり、少しの油断が出来を悪くするので気を抜くことはできません。
毎年、同じようにつくってもその年の素材自体の出来具合や、気候の変化によっても味わいは左右され再現性がないのです。
オートメーションされた冷蔵庫のような壁で覆われた部屋でつくれば均一なものができるのでしょうが、あえて杉の壁で囲いその年々の自然と調和させるのです。
酵母に多大な影響を与えているのが蔵に住む“蔵菌”でこれが“蔵癖”と呼ばれるその蔵でしか生まれない味を生み出します。
違う場所で同条件に作っても柳田の焼酎はできないのです。
この“蔵菌”は柳田酒造の後世に残す財産です。
自分が信じる道を切り開く
自然の力と素材の変化、仕込みによって味わいも香りもバラエティが無限大に広がる「いきもの」のような焼酎づくりは、根っからの「モノづくり人」にとってやりがいと夢が尽きることがありません。
幼少期は、機械が好きで構造が知りたくてよく分解しては戻せなくなり、空手7段の父のゲンコツをもらったものです。ポケットにドライバーを入れて持ち歩き、そのまま洗濯して穴が開き母親にも怒られて。。。
それでも、痛さよりも好奇心が勝っていて(笑)。
エンジニアになろうと決め、夢が叶い就職したときに急に父が働けなくなり帰ってきました。
悩んだ時期もありましたが、自分の身勝手で伝統を蔑ろにはできないと継ぐことを決意しました。
伝統ある襷を背負うということは想像以上に冷厳ものでしたが、日本文化の象徴ともいえる焼酎を伝えることができることに喜びを感じ、焼酎を与えてくれた先人に感謝しています。
時代とともに機械化は進みましたが、一つ一つの工程は明治時代と何一変わっていません。
電子顕微鏡もない時代に何億種とある菌の中から麹菌を選び焼酎をつくった日本人の物づくりは神がかっています。
洋酒もいいですが身近に世界に誇れる蒸留酒があることを知ってほしい。
それを伝えるのも自分たちの仕事です。
南九州が生んだ焼酎という宝を残す使命を胸に挑み続けます。
やっただけだから面白い 無限の可能性が好奇心を奮い立たせます。
「昔ながらの手の温もりが伝わる焼酎をこれからもつくり続けます。」
まっすぐな想いで語る柳田さんの言葉は焼酎のように澄んでいました。
春限定商品 芋焼酎 霞千本桜 (かすみせんぼんざくら)
春の桜が咲く時期に合わせて発売するこの焼酎は、前年の秋に蒸留した原酒を静かに貯蔵し、冬の寒い間、表面に浮いた油を丹念に取りつづけました。
桜の開花を楽しむ宴にふさわしい、程よく甘く格別な爽やかさを感じる味わいになっています。
【柳田酒造】
創業116年
取材協力 五代目 柳田 正氏